こんにちは、浦壁伸周です。今回は、「川崎 飛燕(キ61 三式戦闘機)」をご紹介します。

「飛燕」という愛称を持つ三式戦闘機は、日本軍にとっては不慣れな液冷エンジンでしたが、頑丈な機体と重量軽減に成功し急降性能に優れた戦闘機でもあります。

「飛燕」の概要について

三式戦闘機は川崎航空機で製造された戦闘機で、初飛は1941年12月です。日本で唯一の液冷戦闘機だったことから、防弾装備もなかったため後から燃料タンクや防弾装備を追加したことで鈍重な戦闘機になってしまいアメリカ軍からは最も攻撃しやすい戦闘機と言われていました。これは、当時日本の基礎工業力の低さが浮き彫りとなった戦闘機でもあります。三式戦闘機はキ60とキ61が開発されましたが、1943年10月に陸軍として正式採用されたのはキ61とされています。

特徴

三式戦闘機の主翼は、全幅12m、面積20㎡、アスペクト比7.2の翼形を採用しています。当時日本が軍用していた戦闘機に比べると、主翼のアスペクト比が非常に高く、頑丈な戦闘機でもありました。航続距離は8時間以上、飛行距離は約3,200㎞です。

性能

三式戦闘機の試作機は、最高速度591km/hを発揮したことで飛行性能を高く評価されていました。この数値は、設計主催者からみても想定外のレベルにまで達していたと言われています。しかし、水冷エンジンに対する装備に問題があったことで、安定した飛行・稼働・空戦能力に欠けていたため作戦立案と実行に悪影響を及ばす結果となりました。

歴史(代表的な戦歴)

1943年のニューギニア戦線で実戦投入されたが、液冷エンジンに不慣れだったことから十分な性能・戦闘を発揮できずに奮闘しました。後期型はこのような初期不良を解消しましたが、陸軍航空隊の一翼を担わなければ戦闘できない状況に見舞われました。戦争末期の本土防空戦ではアメリカ国のB-29に体当たりするという攻撃体制も見られたことで沖縄戦では特攻機として軍用されたと言われています。

三式戦闘機は、日本では希少な液冷エンジン搭載型の戦闘機でしたが、戦力化を急ぎすぎたことと精巧で高性能な機体をうまく操縦することができなかったという要因により戦果を得ることができませんでした。戦闘機戦闘に不向きと見られるようになってからは、敵への爆撃機としての任務に回され、新型戦闘機の方に期待が向けられたと言われています。

このように十分な実力が発揮できませんでしたが、万全な状態で挑むことができていたら潜在能力の高い戦闘機になったのではないでしょうか。